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子の背中

by Natsuki  2016 年 8 月 30 日 – 12:09  category BLOG, 思ったこと考えたこと, 日々のつれづれ

娘があっという間に生後6ヶ月を過ぎた。 この半年の間、寝返りにはじまり、ずり這い、おすわりと 誰に教わるでもなく着々と体を鍛えている(というつもりは、本人にないだろうけど)。 その姿は0歳児とはいえたくましいなあと感心するばかりです。 興味の赴くままに移動したり目線を変えられるようになって、ぐっと世界が広がっているんだろうな。 そうやって自分で動けるようになってきて ふと、娘の背中を見る機会が増えたなと思った。 ずり這いで進んでいるとき、おすわりしておもちゃで遊んでるとき。 すごく小さい背中なんだけど、眺めていると 「あ、ひとりの人間なんだな」と思えてくる。 「背中を見せる」ということは、 それだけ筋力がついてきた、という身体の成長でもあるし たとえ一瞬だとしても「こちら(親)」ではなく「あちら(外)」に興味が向いているので 自我の現れる兆し、とも言えるのかな。 やはり、本人にそのつもりはないだろうけど。 これからどんどん背中を向けられることが多くなるんだろうなあ。 寂しいような誇らしいような。 背中は、親が子に見せるもんだというイメージだったけど 子の背中を見て感じ入ることもあるのだな、という発見でした。

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しゃべる、呼吸する

by Natsuki  2015 年 11 月 12 日 – 21:35  category BLOG, 思ったこと考えたこと, 日々のつれづれ

昨日、仕事でお世話になっている、ある企業のマーケティング部署の方々から 夫と共にインタビューを受けた。 インタビューといっても、大げさなものではなくざっくばらんに雑談する感じですが。 話した内容は「千葉で働き、暮らすことになったきっかけ」とか 「今千葉で暮らして思っていること」、「この地域の人やお店やムーブメントについて」などなど。 2時間ほどいろんなことを喋った。 夫はこのトピックについては、水を得た魚のようによくしゃべるので 振り返れば私は自然と控えめになってたけど笑、それでもしゃべった。 質問をされたり、会話をしていくことで 言語化されてなかった部分がするするとアウトプットされていく様が 自分でも楽しかった。 話していて、ひとつ気づいたのは 自分たちは、都度、そのときの時代の空気、社会環境やムーブメントに少なからず影響を受けてきたんだということ。 例えば、千葉で働いて、千葉に住む、ということを決めたころは 東京R不動産がすでに広く認知されていて、空きオフィスが多かった馬喰町がイケてる街に様変わりしていたときだった。 こうした背景が、自分たちの選択を後押ししてくれたのは間違いない。 そのほかにも通っていた大学の立地やカリキュラム、同級生といった人間環境 ネットの普及とネット環境の整備といった社会環境 自分では、コントロール仕切れないものと呼応してきて、今の自分たちがあるんだと思った。 無意識でも、その都度、ちゃんとそのときの空気で呼吸してきたんだということを自覚したのでした。 よい時間でした。

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しずかのおしえ

by Natsuki  2015 年 9 月 13 日 – 21:01  category 思ったこと考えたこと, 日々のつれづれ

「普段は全然忘れているのに、なぜかある瞬間にふと思い出して、なんでこんなこと長年覚えているんだろう」って思う話、その一つ。 昔、お小遣いをもらって、小学館の雑誌、「小学○年生」を買っていたのだけど あるときその付録に「おまじないブック」みたいなものがついていました。 当時小学生女子の間で、おまじないというのは、絶大な人気と地位があり 女子同士のコミュニケーションツールのようになっていました。 このおまじないブックは、そのおまじない人気とアイドル人気を掛け合わせて 「アイドルたちがお勧めするおまじない」がまとめられたものでした。 当時、活躍中のアイドルが、本当か嘘か、さも普段から実践しているかのように 「このおまじない、効果があるからやってみて!」風な文章で紹介していました。 その中でも、なぜか私がこの年まで覚えているのが 工藤静香がお勧めしていたおまじないで それが、 「洗濯物を正座してゆっくりたたむと心が落ち着くよ!」 というようなものでした。 割と従順であった小学生の時分でも 「これおまじないじゃなくない?」 と、静香に突っ込んだのを覚えています。 さらに、「アイドル」のイメージと「洗濯物をたたむ」という日常的で地味な姿があまりにかけ離れていて おそらくは、ほとんどのおまじないがアイドルとは無関係に紹介されているであろう中で これだけは、絶対にやっていないな、と思っていました。 ただ、一番信じてなかったおまじないの割りに、強くそう感じただけあって 取り込んで山積みになった洗濯物を前にすると ふと、この静香のおまじない(?)を思い出します。 で、正座はしないまでも、丁寧にたたんでみようかなとか思ったりして 数十年の時を越えて、実践しちゃっている自分。 おまじないというより、小学生にはちょっと早すぎた生活の知恵的なものだったのかな。 人生めぐりめぐって何が教えになるか、わからないなと思いました。

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高山なおみさんの料理ショー

by Natsuki  2014 年 3 月 10 日 – 01:38  category BLOG, 思ったこと考えたこと

高山なおみさんの「料理ショー」@キチムに行ってきました。 高山さんの料理本はよく見て作るし 「料理する」姿勢的なものとかも かなり影響を受けている。 細く長く憧れの人です。 今回の料理ショーのメニューは、ロールキャベツ。 「教室」ではなく「ショー」なので わたしたちは高山さんが料理するのを見ている。 ロールキャベツをコトコト煮込んでいる間は 立花文穂さん(高山さんの新刊料理本のADを務めている)のつくったショートムービを鑑賞したり。そして、最後にじっくりと煮込まれたロールキャベツを頂きました。 高山さんのロールキャベツ作りは おおらかに、のんびりと、材料や火加減と対話する感じで進んでって もう、食べる前からなんとなくわかる。 で、口に入れると ああ、やっぱり美味しいな、と。 翻って、わたしの最近の「料理」はというと なかなか、そんなゆとりがなく。 面倒だなあと思いがちです。 でもね、そりゃ、わたしだって時間があれば キャベツをゆがいて丁寧に1枚1枚はいで お肉つつんで1時間コトコト煮込みたい。 そうです。仕事に追われて「ああ料理は面倒」と思いながらも 同時に料理がじっくり出来ないことがストレスであったりもする。 多分、わたしの中で、「料理する」というのは 「仕事する」とか「遊ぶ」とか「寝る」みたいに それがないとバランスを欠いてしまうようなものなのかなあと 高山さんのショーを見ながら ぼんやり再確認したりしていました。 さて、実はショーの最後にとてもステキなサプライズがありました。 なんとたまたま会場に、ハナレグミの永積タカシさんがやってきて 即興でライブしてくれちゃって。 ロールキャベツ食べながら、ハナレグミの染みる歌。 本当に豪華な夜でした。 今回のイベントは友達のなべちゃんが 知らぬ間に私の分まで応募してくれたおかげで参加することができました。 仕事がきつかったので参加するかどうかもちょっと悩んだけれど 行くって返事してよかった、それで実際に行けてよかった。 直感よ、ありがとう。仕事がんばった体よ、ありがとう。なべちゃんありがとう。 すてきな日曜日でした。

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方言☆アイ

by Natsuki  2014 年 1 月 30 日 – 19:45  category 思ったこと考えたこと

昔から「方言」に憧れがあります。 東京生まれ東京育ち(ヒップホップでは育ってない)の標準語圏民としては 方言でのやり取りなんてたまらなくうらやましいと思うのです。 方言全般、興味がありますが 「関西弁」は (といっても各地方によって細分化されるらしいですが) 小さいころから耳なじみがあって やっぱり好きな方言です。 父の出身が大阪だったので 小さいころ祖母の家に帰省するたびに 隣に住んでいた女の子のしゃべり方をこっそり真似たりしてました。 縁あったか、ダンナさんも関西(神戸)なので 結果、関西弁の親戚がとても多くなりました。 大学に入ってからは 関西弁の友達の語尾が自然にうつりました。 自然に…というのは実はちょっと違って 「やっぱり聞こえ方がいいな」と思っていたから 真似しようという意識が働いていたかもしれません。 (わたしには関西弁でしゃべる女子が1.5倍くらいかわいく見えます。) 関西弁を「ひとつの言語や!」と主張する関西出身者の方がいたりします。 そこに特段異論はないけど 外の人間から見て英語やドイツ語といった「言語」と違うのは たとえ学んで身に着けたところで堂々としゃべることができないことです。 東京出身者が「関西弁」を突然流暢にしゃべっても まったくかわいくもおもしろくも聞こえないでしょ…。 関西弁は永遠の憧れどまりです。

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方言アイ

by Natsuki  2014 年 1 月 30 日 – 19:43  category 思ったこと考えたこと

昔から「方言」に憧れがあります。 東京生まれ東京育ち(ヒップホップでは育ってない)の標準語圏民としては 方言でのやり取りなんてたまらなくうらやましいと思うのです。 方言全般、興味がありますが 「関西弁」は (といっても各地方によって細分化されるらしいですが) 小さいころから耳なじみがあって やっぱり好きな方言です。 父の出身が大阪だったので 小さいころ祖母の家に帰省するたびに 隣に住んでいた女の子のしゃべり方をこっそり真似たりしてました。 縁あったか、ダンナさんも関西(神戸)なので 結果、関西弁の親戚がとても多くなりました。 大学に入ってからは 関西弁の友達の語尾が自然にうつりました。 自然に…というのは実はちょっと違って 「やっぱり聞こえ方がいいな」と思っていたから 真似しようという意識が働いていたかもしれません。 (わたしには関西弁でしゃべる女子が1.5倍くらいかわいく見えます。) 関西弁を「ひとつの言語や!」と主張する関西出身者の方がいたりします。 そこに特段異論はないけど 外の人間から見て英語やドイツ語といった「言語」と違うのは たとえ学んで身に着けたところで堂々としゃべることができないことです。 東京出身者が「関西弁」を突然流暢にしゃべっても まったくかわいくもおもしろくも聞こえないでしょ…。 関西弁は永遠の憧れどまりです。

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ううじんさんのCDを買う

by Natsuki  2013 年 5 月 23 日 – 20:05  category 思ったこと考えたこと, 日々のつれづれ

久しぶりにCDを買いました。 「ううじん」さんという女性ミュージシャンのCD。 ご近所のcafe STANDにお昼を食べにいったときに 「ううじん」さんの曲が流れていました。 STANDは日当りが抜群によくて わたしはそこが大好きで そんな日なたの景色に 曲がぴったり合っていました。 仕事の合間なのに ずいぶんずいぶんほっとしました。 突然目の前に見えている風景が 映画のスローモ−ションに見えるような感覚というか。 その場でスタッフさんに 「これって誰の曲ですか?」 と聞いて、ホームページを調べて 試聴した曲もとてもよくて それでトントン拍子にCDを購入しました。 (ホームページの雰囲気も好き) 調べたらamazonでも購入できたみたいです。 しかも送料が無料でした。 でも、せっかく心がきれいに動いたのだから 直接購入したいと思って 「よく行くカフェで流れていて聞きたくなったこと」 「届くのを楽しみにしていること」を添えて HPから購入希望のメールを送りました。 注文確認メールが返ってきて メールの末尾に ううじんより三尾夏生さまへ というメッセージがありました。 そして、今日CDが届きました。 CDは薄紙にくるまれていて とても丁寧に梱包されていました。 メッセージカードも入っていました。 なんだかいい買い物をしたなと 胸が暖かくなったのでした。 お金とCD以上にやり取りができたような気がして 今後もなるべくならこんな買い物をしていきたいと思いました。 ううじんホームページ 曲が試聴できますよ。

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筋肉インターフェース

by Natsuki  2013 年 2 月 17 日 – 18:17  category 思ったこと考えたこと

                    『「玄米を炊く」という作業を体で覚えたい』 ということを、前回書きました。 その「体で覚える」という一連の過程は 科学的に解明されているのかなあと ふと思ってググってみました。 そしたら、ズバリな記事がヒットしました。 数年前のWEB版「R25」の記事です。 頭じゃなくて「体で覚える」のメカニズムが知りたい! この記事に登場する、東京都神経科学総合研究所の石塚典生医学博士の言葉を引用すると… 「例えば、自転車に乗ろうとするとき 『自転車に乗るには、まずペダルに足をかけて』と考える。 こういった段取り的なものは、『陳述記憶』と呼ばれる記憶で、 脳でいうと大脳皮質連合野というところを使っています。 これらの段取り的な動作はやがて 『筋肉が引っ張られた』とか、『どれだけ力が入った』という筋肉の情報として 小脳で制御されるようになり、意識せずとも自然に反応するようになります。 つまり、コツやスキルとして体が覚えていく。 この小脳と、大脳基底核という大脳に含まれる構造物が連合して、 運動性記憶を作っています」 言葉で覚えたことが、筋肉の記憶として脳に記憶されることが すなわち「体で覚える=運動性記憶」ってことでしょうか。 「運動性記憶」っていう言葉は わたしにとってはなんかすごくしっくりきます。 というのも 偏差値的な見方でいうと、わたしの学業成績のピークは中学生時代で その当時の勉強方法はひたすら「声に出す」「書く」を繰り返すというものだったからです。 漢字は裏紙に書いて書いて、手が自然に動くまで覚える。 (うちは父親が教職なため、裏紙をたくさん持って帰ってきてもらいました。) 歴史の暗記は、当時流行っていた(今もある?)赤い透明シートをかぶせると文字が消えるという緑ペンで キーワードをマーカーしまくり、それをひたすら読み上げる。 テレビのナレーターのごとく滑らかに歴史を語れるまで。 いわゆる「暗記もの」ではない数学も 証明の文章がすらすらとかけるまで書いていました。 こんな風に、私の試験勉強は声が枯れ、腕が疲れる「運動」でもありました。 あらゆる知識を、体になじませるような、まさに「運動性記憶」。 この勉強方法が、自分にはあっていたようで 中学時代の試験の点数はよい方だったけれど それから10数年経った今でも 私は(私の体は)、「運動性記憶」を嗜好しているんだな。 わたしの、情報インターフェースは「筋肉」みたいです。 やっぱり運動しなくては。 しなやかにしておかなくては。 情報感度が鈍っちゃうね。

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玄米を炊く運動神経

by Natsuki  2013 年 2 月 3 日 – 21:11  category 思ったこと考えたこと, 日々のつれづれ, 毎日の食事

やっと思うように、玄米が炊けました。 去年の11月頃 忙しさが落ち着いてきたこと 夫のお母さんに圧力鍋をゆずってもらったこと をきっかけに玄米を炊くようになりました。 鍋で炊くので、水を計る必要があるんだけど カップで計量するのが面倒なので 「体で」覚えるように訓練してきました。 「体で」っていうのは 米と水を適当に入れた鍋に 手のひらを、米の表面を押さえつけるように入れて 手のどのあたりに水位がくるかで 適切な水の量を決める ということです。 試行錯誤してきた結果 本日めでたく理想の水位が決まりました。 (右手の手の甲の脈が浮き出ているあたりがベストラインのようです。) そもそもは玄米の炊飯を簡単にしたいという思いで (うちの鍋で炊くのにちょうど良い)6合ごとに米を小分けにしておき その6合に合わせた水の量を自分の体の感覚で覚えることにしました。 私にとっては、こうやって体で覚えるというのがやっぱりあってるなと思います。 「体の感覚で計る」ということは、以前、少しだけお世話になったカフェの親方(カフェで親方というのもどうかと思うけどそういう言葉がぴったりの人でした)に教えてもらったことです。 「お米を炊くときは、ちゃんと計量した水を入れた後、必ず自分の手を入れて確かめなさい。」 その他にも、自分のこぶしの大きさとか、親指の第一関節までの大きさとかが、計量の基準にできると教わりました。 不思議とこの親方に言われた言葉は、時折思い出します。 料理をするときの理想は、できることならレシピを見ない。 それを自分の体の感覚で再現できるようになれればいいなといつも思います。 それは一種の「運動」みたいなものかなと思ったりします。    

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藝大の卒・修了展ー美術作品を見ることについて

by Natsuki  2013 年 1 月 29 日 – 22:46  category 思ったこと考えたこと

東京藝術大学の卒業・修了展にいってきました。 藝大の卒業・修了展に来るのは二回目です。 今回は、牧田愛ちゃんの修了作品を見に行くのが目的でした。 愛ちゃんは、ご近所に住む藝大生です。 今回の修了展に合わせて、愛ちゃんの代表作をおさめたリーフレットをデザインさせてもらいました。 愛ちゃんの作品は、画像だけでもその迫力が充分伝わってきます。 その力強さに私はデザイン作業しながらすこし涙が出そうになりました。 これだけ絵に力があると、デザインがやることは至ってシンプルでした。 愛ちゃんのこれまでの作品、ちょっと紹介。 ↑上 わたしが好きな作品「laugh」。バイクのエンジンを左右対称で描いているのだけど本当に笑っているように見える。 ↑下 今回のリーフレットの表紙に使った「Arrival freeway」。表紙にぴったりでした。 さて卒業・修了展。 愛ちゃんは、この日いなかったので会えませんでしたが、初・ナマ作品を鑑賞してきました。 これまでの作品より、すごく緻密な感じがしました。 (写真とっちゃいけないかなあと思って撮りませんでした…泣。) 他の卒業・修了生の作品も、駆け足でザザーっと、時間の限り見て回りました。 藝大にはデザイン科もあるので 「美術」の中に「デザイン」 も並んでいました。 デザインは(一応)専門なのと 問題意識やデザイン的な解決方法を見て ある程度、良し悪しを自分の中で決められるのですが 「美術」作品についてはなかなか難しいなあと思います。 私自身、美術の動向や歴史にそんなに明るいわけではないので それぞれの作品を客観的に評価することはできません。 ただ、作品の前に立って、いいな、とか、なんか好きだなとか、気持ち悪いな、とか ごく主観的な感想を持つだけです。 今回の展覧会でも、いくつか自分の感覚にぱさっと引っかかる「美術」がありました。 ただ、でもそれは、その作品をいい!と評価するというより あくまで「ああ、私はこういうものが好きなんだ。こういうテーマやモチーフに反応するんだ。」という、 自己確認の作業をしているような気がしました。 作品を通じて自分を観察していると言うか。 (でも、それって作品を見ているようで見てなくて、自分を見てるってことなのかなー) そう言えば、会田誠さんの森美の展示に抗議文が出されているとか。 美術の見方って、議論できることがたくさんありそうです。   <おまけ> 今回の駆け足鑑賞の中でいいなあと思った方のサイト。 写真の作品でした。 金瑞姫さん http://www.kin-xx.com/indexhibitv070e/ 展示でみたのは、身体の写真だったけれど 会場におかれていた作品集の中にあった「light」というシリーズがなんかぐっときました。 すごく普通の部屋の写真ですが、かっこよかったです。